Yesterday Today Tomorrow〜昨日 今日 そして明日へ・・・

直井里予とその仲間たちが日々出会ったもの・ことを綴るブログ

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「言葉・記憶・身体」

日曜の京都。
今日は朝から雨。
雨の京都は何か風情があるような~。
雨が止むまで、いきつけの喫茶店。
昨日の「日本中東学会一般公開イベント」のことをおもう。

シンポジウム「抵抗の文学~世界文学の中のパレスチナ」の前に、“国境なき朗読者”約10名の方々による90分間の朗読
『The Message From Gaza~ガザ、希望のメッセージ』。
脚本上の言葉が、出演者たちの身体を通してリアル感を出し、
会場全体を包みながら伝わってくるような、そんなすばらしい、
しかしリアルすぎて痛く、その場から立ち去りたくなってしまうような上演だった。

脚本は、現代アラブ文学の研究者、岡真理教授。
「今、そこでおきている事実を伝えるのがジャーナリズム。無数にある情報。しかし、そこから何も真実が伝えられていないのではないか?いかに現実をリアルに伝えていけるのか、私は文学(フィクション・小説)という方法によって、真実を描けるのではないかと思っています」

岡先生の言葉に、「現実をリアルに表現するとは一体何なのか」
深く考えさせられた。朗読、演劇、小説、脚本、詩、、、。
映画に限らず、表現方法は無数にあることも。

まだまだ色々話しを聞きたくて、シンポジウムの後、控え室まで図々しくついて行き、鵜飼先生や細見先生、そして現代企画室の太田昌国編集者に色々個人的にお話を聞いた。
「言葉、記憶、身体」について。

ちょうど今、8・9月に予定しているフィールドワークにむけての研究助成金申請用の企画書を書いている。
書いては消して、書いては消して、、、。
先生やゼミの先輩たちに何度も原稿を見て貰いながら。
締切り日ギリギリまで書きなおしの作業。

ドキュメンタリー映画制作で一番きついのは、
このはじめの部分と最後の産み時。
太田さんに参考になる本を紹介して貰い、アドバイスを頂いた。

ドキュメンタリー映画制作には企画書など必要ないのかも知れない。
前作『OUR LIFE~僕らの難民キャンプの日々』の企画書を見直しながら、全く違う作品に仕上がったことを振り返るとそう思う。

しかし、先行文献研究をしっかりしておかないと、
現場で壊せる自分の「思想」も出てこない。
放射能じゃないけれど、今「私」が直面しているもの(見えているもの)は、現実の一部分にすぎない。

前作の制作中、日誌(書簡)↓をずっと書いていたのだけれど、
企画書制作時を思い出して、なつかしくなった。
バンコクのアパートの暑い一室で、ビールを飲みながらムンムンと。
京都もこれからムンムンしてきそうな雰囲気。
「ガリガリ君」をカジりながらの日々がもうすぐやってきそうです。

――――――――――――――――――――――――――――――
「カレン人難民取材日誌(書簡)」
1.書簡1号 (2008年1月24日 バンコク)
・「企画書下書き作成」
カレン難民キャンプ取材の企画書の下書きを書く。
難民キャンプにはじめて入ったのは、今から7年前のことだった。
2001年7月。メンタイ君に初めて出会った時から、彼を主人公としたドキュメンタリーを作りたいとずっと思っていた。しかし、その思いは思いのまま胸に秘めたまま、ずっと行動に移せずにいた。今回企画を書き始めたのは、あるHPを開いたことがきっかけだった。そのHPを読みながら、「知りたい。伝えたい。そして繋がっていたい。」という表現への欲求が蘇ってきた。今回の難民キャンプの取材を通して、キャンプ内で暮らす難民の子どもたちにとっての「幸せと哀しみ」とは一体何なのか、そして「文化と民族のアイディンティティー」について考えていければ・・・と思う。

2.書簡2号(1月25日 バンコク)
・「民族を読む(徐京植著)を読む」
今からちょうど7年前、はじめてカレン族の取材に入る前に読んだ本を改めて読み返す。
著者は在日朝鮮人の徐京植。著書「民族を読む」の中で彼は、「韓国社会が第三世界的な要素、被害者としての要素をもちながらも、それを内在化させながら、しかし他者に対してはいわば抑圧者として亜帝国主義として存在していることに対してこれからどう立ち向かっていかなければならないか」、という難しい課題を提示している。

カレン難民キャンプ取材の企画書を書きながら、彼の言葉を反芻する。
「在日朝鮮人は故郷の土地から引き離された人々であると同時に、新しい土地に結びつくことも出来ない民衆である。日本に強制的あるいは半ば強制的につれてこられたという歴史的経緯のもと、はじめから土から引き離された人々である。だからその引き裂かれた土地の記憶というもの、土地から引き離されてあるという欠落感や剥奪感の共有が、彼らの集団性を保障する最後の根拠となるかもしれない。その土地に生まれなくても、その土地に住んでいなくても、その土地に骨をうずめなくても、その土地の言葉を必ずしもしゃべれなくても、しかしある人々との運命の共通性をもつということ、そして共有される死と生のイメージをもつことが、祖国を持つということである。祖国とは人間の生き方の態度のことなのだ」

そして次に彼は、「では共通性をもてない人たちは、どうなるのか」という問題を提示する。欧州の帝国主義によって民族文化を奪われ世界にばらまかれた人々たちは、どう生きていけばいいのか。社会的、歴史的な関係を完全に粉砕されてしまった人たちは、どうしたら自立的な共同体の成員になることができるのか。

欧米諸国の帝国主義的な行動が繰り返されている、今この瞬間も。では、日本人として生きている私の「立場」は・・・。自覚しなくてはならないことなのだが、まだしっかりとその自分の「立場」と向き合うことが出来ずにいる。今、私がタイでの生活を送れているのは、帰ろうと思えば帰れる場所があるからだ。故郷には、帰りを待っていてくれる人たちがいる。会いたいと思えば、会いにいける環境に今自分は身をおけている。そんな思いや環境が異国の地での生活を支えてくれている。

「この世の中でおきている権威主義的で抑圧的な収奪をどうすれば阻止出来るのか? その体制はどうして作り上げられてしまったのか? 今まで何が足りなかったのか? 国家への回収を拒む機能はどこにあるのか?」 今はまだ暗中模索状態だが映画製作を通して考えていきたい。
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プロフィール

chestpass

Author:chestpass
直井里予(なおいりよ)
1970年生まれ。博士(地域研究)/映像作家。京都大学東南アジア研究所機関研究員(2015年4月〜)。龍谷大学非常勤講師(2016年4月〜)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士後期課程修了。1998年からアジアプレスに参加し、ドキュメンタリー映画『昨日 今日 そして明日へ 』(2005)や『OUR LIFE』(2010)などを制作。2011年から京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科に編入学し、『昨日 今日 そして明日へ2(第一部 アンナの道 ・完全版、第二部 いのちを紡ぐ) 』(2013)を製作。現在、ビルマ難民映画『OUR LIFE 2~夢の終わり(仮)』と『バンコク物語(仮)』を制作中。書籍に『アンナの道~HIVとともにタイに生きる』(岩波書店)がある。
Contact: info@riporipo.com

→公式ホームページ

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